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ブログに書きたいことがたくさんあるのですが、時間が追いつきません。この焦燥感はなかなか不快なものですが、とは言っても、やはりない袖は振れない…。一体全体いつの日か時間リッチになれるのでしょうか…。
ある燃えるゴミの日の朝
さて、あれは8月22日、先週の火曜日のこと。僕は在宅勤務で家にいました。
我が家のゴミ当番は娘のはーちゃん、若干9歳。自分が家族の一員であるという自覚をもって自分に割り振られた仕事(カーテン閉めとゴミ出し)をしてもらうという前提のもと今のお小づかいプログラムを開始して数か月が経ちました。
ところが、その日はどういうわけかゴミ出しのタイムリミットである8時が近づいているというのに、ご機嫌斜め。一向に動き出す気配がありません。
何度となく励ましたり、いろいろその気になるように話をしたり、嫌なら嫌でどうしたいのか聞いてみても「いや」だとか「今日はパス」だとかダグダ言って埒があきません。
言ってはいけなかった脅しの一言
そうこうしているうちに、いよいよ8時になってしまいそうで僕が焦ってきました。そして、こりゃダメだと思い「そんなことだったらお小づかいプログラムは見直しになっちゃうよ」というようなことを言って自分でゴミを出しに行きました。
後でモヤモヤしながら、一連の出来事を反芻しているとようやく自分の失敗に気が付きました。
後悔先に立たず
- そもそもどうしてはーちゃんの仕事なのに、僕は自分でゴミを出しに行ってしまったのか
- はーちゃんが出さなかったゴミは、はーちゃんの机にでも置いておいて、それが邪魔だったり、場合によっては悪臭を放ったりすれば(これは同居者としては避けたいところではあるけれど)、次回からきちんと出すようになったんじゃないのか
- ゴネたらまたパパがやってくれると学習してしまったのではないのか
- どうせ学習するのなか、自分の仕事をしなければどういう結果になるのかを学習させたほうがよかったのではないのか
- お小づかいプログラムの見直しをほのめかす、脅しのような発言はするべきではなかったのか
ゴミなんて出さなくても誰も死にゃしない
次から次へとこのような思いが押し寄せてきました。そして気が付きました。ゴミは時間までに出さなくてはいけないという強迫観念にとらわれていたってことを。そして、ゴミ出しまで数分しかないと焦ってしまい、はーちゃんの気持ちを丁寧に聞いてあげる余裕がなかった、ということを。
おわりに
1日くらいゴミを出さなくたって何でもないのに、思い込みというのはなかなか厄介なものですね。完全に思考停止になっていました。もっと丁寧にはーちゃんの気持ちに耳を傾けてあげるべきでした。大人だって自分の気持ちを言葉にするのが難しいのに、機嫌の悪いはーちゃんにそれを求めるのは明らかに間違っていました。はーちゃん、ごめんね。これを教訓に次からは頑張るよ。